HOME / 日記 / CDはもう、だめだろうなぁ・・・(売れない理由と日本の市場規模の縮退)

Date: 2010/03/16 |  このエントリーをはてなブックマークに追加  |  Tags: CDの売れない理由, 日本の市場規模縮退

CDはもう、だめだろうなぁ・・・

あるところでこんなことが話題に上がりました。

新しい物がでると特集し、消えゆく物がでると、回顧イベントを特集するあたり、新聞メディア的かなぁとは思いました。

正直なところ、次の3つの理由で、CD(に、限らず、類似する売り方をするもの)は、もう無理だとは思うのです。

  1. 文化の多様化
  2. 少子化
  3. 購買層の収入の激減

文化の多様化とは、「みんなが見てたアレ」が失われたことです。私が子供の頃は、みんなが同じテレビを見ていて、翌日は連ドラの話をしてたり、音楽番組のランキングが意外であった話をしていたりしました。

まぁ。私は、ちょっと変わった子だったので、全然見てなかったから「ついて行けなかった」ゆえに、覚えているのですけれど。

WEBやスカパーが出てきたとき、趣味のものをずっと追えるというのは、凄いことだと思う一方で、「みんなが見てたアレ」が失われていくのだろうなぁと思いました。スカパーのチャネル数が何十チャンネルもあれば、昨日のアレみた?は全く通じない世界。

これが続くと、みんなが多様性をもつであろうという危惧をもっていました。何故、危惧かといえば、当時の私は、丁度、ミリオン販売を目指す様なプロダクトを部署にいたからです。

日本は実のところの狭い市場です。1億人ぐらいしかいません。

狭い市場ながら購買力があれば、海外の会社からみたら、魅力的な市場です。それならば、日本に参入してきて、顧客をがっちり捕まえようというのは、当然の摂理です。

プリングルスの缶が、日本専用の缶なのか、それともたくさんの国の言葉の中に日本語があるのか、あるいは日本語のシールがはってあるだけとか・・・。これは、その企業が日本を市場としてどう見ているかのバロメータのようなものです。

多くの企業が日本の顧客を大事にするというのは、ある側面からみた、日本の国力だと思うのです。

10年前、友達に、「そのうち、Windowsの日本語版より先に中国語版がでるかもよ?韓国語版が日本語版より先に出ることはないとはおもうけど・・・((韓国語版が先に出ないといっているのは、単に購買する人間の数のからの計算上の話です。))」

こう言ったら、いろんな人に実感がないと言われました。でも今は、わかって貰えます。

残念ながら。


話を戻します。「みんなが見てたアレ」なんですが、みんなが見てるから、みんなが比較的近い感性を持ち、みんなが流行に流れるのです。日本人は割と流行に敏感と言いますが、敏感であるからミリオンセラーがでます。

実際のところ、ミリオンセラーがでれば、大きな企業が日本に入ってきて、ビジネスチャレンジをします。まあその企業がミリオンセラーが出せるかどうかは別問題なのですが。

文化の多様化は良いことです。

ただ、そのうち、文化が多様化して、ミリオンは出なくなるだろうなぁと思っていたら、全くそうなってしまいました。

次に少子化。これは言うまでもないですよね。人が減ればいろいろなことがおきます。同じ購買力なら、5000万人いる国より、1億人いる国の方がミリオンセラーはでやすいに決まってます。

最後に、購買層の収入の激減。企業は最適化をし、利益を出すのが使命です。別に、誰かを安く使って陥れて、代わりに利益を出すのが目的ではありません((そういう会社が無いわけではないと思いますが、そう言う会社こそブラックというのでしょう?))。

顧客に安くて良い物を提供する。そのために効率よく何かを作る。

その結果、高い人件費や材料をなるべく使わない様に努力します。もちろん、材料にその商品のレゾンデートルがあればべつですが、材料ケチっても売上が変わらないなら積極的に、材料をケチります。

その結果、市場原理に基づき、選ばれた物が、売れる商品です。これは資本主義の摂理なわけです。

人件費はどこの企業でも一番重いのですから、一番先に圧縮しようとします。圧縮とは単に「安く働かせる」のを目的にしているのではなく、機械を入れたり、ITをつかったコンピュータシステムをいれて、人の仕事を減らそうとするのです。私たちIT屋はこのお手伝いの一翼を担っています。

その中でもちろん、消費者が市場で安くて良い物を探す様に、企業は労働市場の中で安くて生産力のある労働者を捜します。それが例えば、ある企業にとっては、中国だったりするわけですよね。

その結果、日本に人が余り、そして解雇されます。労働も労働市場の市場原理に則っている以上、単純にどこかで政治的に最低賃金を決めたり、どこかで雇い入れルールを決めたら、需要と供給の曲線の交差点が本来のポジションよりズレます。ずれた分の三角形が、市場全体が負担するツケです。ツケはどうやって来るかはわかりませんが、絶対にどこかで負担がでてきます。

また話を戻しますと、いずれにしても市場原理に従って、労働市場が労働者飽和状態になればなるほど、どうしても賃金が下がります((より安くて良い物を手に入れようという心理が人間にある以上無理。お隣のスーパーの方が安いからと、安い方のスーパーで買ってるのならば、スーパーはその分、労働賃金が不要な物(機械化、システム化)、あるいは安いものを捜して競争せざるをえませんからね))。賃金が下がるにしても生きるのには限界がありますから、趣味の物は切りつめたりしなくてはならなくなります。

購買力をかつて支えた年齢層は、ギリギリの生活をして、こんな生活で過ごしている以上、大体方法で欲求をかなえるしかありません。

これら3つは、残念ながら見事に絡み合ってしまって、CDのようなコンテンツ、CDのような売り方をするコンテンツが売りにくくなってしまいました。


それはもちろん、mp3などの配布や、レンタル、違法コピーが簡単にできるようになってしまったことも、一因ではあるとは思います。ただ主因ではないでしょう。彼らが営利団体である以上、そういうことを回避するよう努力することは当然だとは思いますが。

ただこのことって、1995年頃にインターネットが一般化し始めた頃から言われ始めたことのはずなんですよ。いろんな人が言ってましたよね?

僕は、このための対策でいまいち良いアイディアがありませんけども((何割か嘘ですが。知ってる部分は仕事で使ってますからね ;p ))、その産業従事者は当事者なのだから、我々よりもきっと必死に考えてるのでしょう。そして良いアイディアをもっているはずです。早く形にして世の中に出して欲しいところです。

見る側面を変えて、CDというのは再販維持商品です。再販維持商品は、文化的な理由や薬品などの様に品質的な理由などもありますが、実際の所既得権にも多く絡みます。既得権という言葉が出てくる市場である以上、普通の市場に比べて古い体系が張り付いているのはわかります。恐らく想像以上に改革は難しいのでしょうね。そう言う流れで15年間も新しい流れに見ぬふりをしていたのでしょうけれども。

ところで、元記事にあったこの部分・・・。

「音楽を形の無いデータでやり取りするだけなんて、あまりに味気ない」

これってレコードからCDになったとき、「レコードのジャケットの大きさ」を主張してたころと、ちょっと似てますね。悪いことじゃないけど回顧に近い。こんな言葉が前にでてきてしまうあたり、きっと他に言えることが無いのだろうなぁという気の毒さが滲み出てきてしまいます。確かにアーティストはジャケットや、曲順も考えています。

でも、どうしてネット経由で聞いて、クリックして、特設WEBサイトにとんじゃいけないのでしょう?それじゃ、アーティストの気持ちがつたえられないんでしょうか?

とりあえずあまりに哀れなので、欲しかったCDをamazonで買うことにしました(涙)


そんなこんなで、最近、都内でも空きオフィスが増えているようですが、結構、外資の会社が撤退しているようです。

なんだか、大変な時代になってきたのですかね?


CDはもう、だめだろうなぁ・・・(売れない理由と日本の市場規模の縮退)

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