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Date: 2009/01/17 |
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Tags: 瀧 康史, 瀧, kohju, 紅呪, 自己紹介
テラクラウド株式会社にて、代表取締役CEOをしております。
業務内容はクラウドの会社です。外資のクラウドを運用する会社は数あれど、日本産のクラウドそのものを作る会社は珍しいみたいです。オンラインストレージのTeraCLOUDのサービスも行っています。企業向けのアクセスラインまで含めたネットワーク基盤から、コンピュートノードの仮想化、ストレージ、SaaSなどをいくつか「僕ができてしまったものをサービスにしたらサービスが増えてしまった」会社なので、上から下までセットでできる会社になってしまいました。
現在は、様々なレイヤーに特化したエンジニアを鋭意募集中です。
レイヤーは上から下まで、給与帯も上から下まで。全部募集中。なにも「フルスタックエンジニア」である必要はありません。僕らみたいなキャリアが長いお爺ちゃんと違って、若者はどっかのレイヤーに特化した方が良いって分かってますから!
とにかく「クラウドを作りたい!」っていう人を鋭意募集しています。
テラクラウド株式会社は、私自身が2001年にソニー・コンピュータエンタテインメントを退職し、屋号justplayer.comという名前でフリーランス(青色申告個人事業主)になり、法人成りして有限会社ジャストプレイヤーを設立、改組してジャストプレイヤー株式会社、社名変更してテラクラウド株式会社に変移してきました。役員構成を見てもらうと何となくわかるでしょうが、そろそろ出るところに出ようかと思っている会社です。自宅の目の前のプレハブからスタートした会社としては、成長したものです。
フリーランスのjustplayer.com時代、有限会社ジャストプレイヤー時代は、ソフトウェアの分散配信を夢見て起業しました。
しかし、これを当時の僕では商売のラインに乗せることができなかったので、様々なウェブ・サイト制作や、システム制作の受託が中心になっていきます。ミドルウェアやフレームワークを開発することになり、CMSであるWIKIPLUSを開発したり、BitTorrentベースの分散配信システムを作ったりしています。その辺が地方のウェブ会社では無かった点ですね。
ジャストプレイヤー株式会社時代の後半は、ITサービス、データセンター、コンサルティングなどを中心とした企業でした。コンサルティングは要するに、経営面からみた情報システム課のあり方、実務などそういう仕事が中心です。
その他、オンラインストレージのTeraCLOUDを始めています。
これが現在の社名「TeraCloud」に繋がります
有限会社ジャストプレイヤーは2001年に生まれながら、サーバ側で動かすソフトウェアや領域を賃貸する会社をイメージしていきました。これを「クラウド」という言葉無しに説明ができなかったので、定款に「ソフトウェアの賃貸」が入っています。
20世紀後半に、いつかそうなるだろうと思ったことが実現しました。
OpenSolarisという、Solarisの系譜のオープン系OSが好きで、コミュニティに積極的に参加しているうちに、Leaderになりました。
おかげさまでいろいろな方との人脈が出来ています。
FINO ふじのくに情報ネットワーク機構の理事をしています。
かつてはいくつかの会社、組織の取締役をしてましたが、今は全て辞めています。
オンラインでは、twitter、facebook、linkedinを使っています。
twitterでフォローされたら、自己紹介はほとんど必ずみます。私側からフォローするかどうかは、知ってる方か、あるいは、話しかけてもらうことが多ければ、お会いしたことが無い方でもフォローします。
facebookは、一度お会いした事がある人のみ繋がることにしています。
オフラインでは、IT展示会や勉強会とか割と好きなので、WEB系、ネットワークインフラ系の催しに顔をだします。当然、OpenSolarisユーザ会のリーダーをしているので、OpenSolarisの催しには顔を出しますし、その他、Oracleの催しにも、出ることがあります。
幼少の時からやっていた割に、正直、うまくは弾けません。人の前で弾くなんてもってのほか(笑)最近は、ショパンばっかりですが。
ちなみにデジタルピアノももっていますが、実はエレクトーンの類のシンセサイザーは実はあまりすきではありません。その昔、Oh!Xで色々連載していたり、IT系だということでシンセ大好きだと思われがちなのですが、アコースティックの響きの方が好きなのです。
ちなみに、どういうわけか、SteinwayやBosendorferの音よりも、YAMAHAのピアノの音が好きです。・・・というかYAMAHAのグランドピアノが欲しいです。誰かプレゼントしてください(笑)
幼い時から聴いてきたためなのか、こればっかりは趣味なので・・・。
スポーツカーが好きです。
自分のクルマの経歴は、こんな感じです。
コンピュータ関係の技術が好きです。
技術ならば、ハードウェアから、ネットワーク、OS、インフラ系技術、アプリケーション構築技法、デザインなどなど、何でも好きです。IT系の会社の株価まで見ます。
コンピュータ上の作品はアーティファクトだと思っています。優れたアーキテクチャを見ると興奮しますね。
ジャンル的にこれが特別得意だとものは特別ありません。
なので「**屋」と言われると、何を言われてもそうかなぁ?と違和感を感じたりします。広く薄くでしょうか。だから自分がコンピュータのプロではないのかもしれませんね。
コンピュータは1980年ぐらいから、ずっと使ってます。それこそほんとにずっとです(笑)
パソコンは、JR200という、ナショナルだかパナソニックが作っていた8ビット機を最初に触りました。その後、主に触ったのは、PC8000系、PC8800系、PC9800系、X68000系、PC-H98系、PC9821系を経て、いわゆるPCを触ることになります。ワークステーションは、大学で触れたSunが最初、SGIや、DEC Alphaなども使いました。
言語を習得した履歴は、古いBASIC、マシン語(笑)、アセンブラ(色々)、C、Objective C、C++、lisp、Fortran、Java、Perl、php、Python、javascriptなどなど・・・メジャーなものだけ書きましたけど、大抵、その時、旬だったものは、何にでも手を出していました。
OSは、OSとは言えない8ビットのN88DISK BASICから、C-DOS、CP/M、MS-DOS、Human68k、OS-9/68kを経て、Windows NT系にふれます。ただNT3系からVistaまで使いましたが、Vistaで少しUIに疲れ、メインOSがOpenSolarisに、その後、MacOSX/macOSとなってしまいました。UNIX系は、Solaris、FreeBSD、Linux、IRIX、AIX、Digital UNIX、NEWS、NetBSD、MacOSX/macOS。色々触ってた為に割と何を使っても気にしないようになりました。
ハイパバイザは、PPARやLDOMなどのメインフレームやUNIXのエンプラ系のものから、x64コモディティ的なものだと、VMwareやXenServer、KVM、たまにHyper/Vなど触ってたりします。
ただ、私のキャリアの中でコンピュータのエンジニア職といえるのは、43歳になって自分の名刺をCTOにしてからでした。それまでは一度もエンジニア職だったことはありません。これは縁が最大に理由ですが、コンピュータ技術が好きなので、「広く薄く」になってしまったため「**屋」になれなかったからかもしれません。
現在は、CEOはCTOと兼任してはいけない……というルールがありまして、51才にしてCTOを辞め、CEOに専念することにしています。(が、実際はどうなのかは親しい人なわかるでしょう)
それゆえに、その道のプロのエンジニアを凄く尊敬していたりしますね。
ソニー・コンピュータエンタテインメントにてゲームソフトの制作をしておりました。名前でぐぐれば今はいくらでも出てくるのであえて隠す必要も無いかなと。
Oh!Xで記事を書いておりました。
音楽系、ハードウェア系の記事が多かったかな。
個人的には数学に苦手意識があったのに、数値演算系も降ってくる傾向もありました。数値演算プロセッサとか、コプロとか、DSPとか・・・
まだIRCとかが流行る前に、NECのPCVANのOLT(オンライントークの略、いまだとONとかにしそうだよね)でずっとチャットしてましたね。PCVANはNECが20世紀に行っていたプロバイダ+SNSの前身のようなものですね。びっくりするぐらい今のSNSと同じような問題がおき、同じような論争がおきていて、使われかたも似ているのです。そこで1つのチャネルを管理してたので、実は私は、SNSネイティブ世代なのですよ。
ただこのころは、午前2:30まで!という制限があって良かったなあ。