Date: 2009/12/24 | | Tags: 名誉, honor, 誇り, pride
(今日は珍しく思想の話・・・思い出と、思想を織り交ぜて書いたつもりなのだけれども、少々説教臭いので、説教が苦手な人は読まないことをお勧めしておく。)
誇りが高いということは徳ではない。だからマジンシアは滅びたのだ。そして残った徳こそが謙譲なのだ。 --- プレイン
若い頃に、Ultima IVというゲームをやった。プレイヤーは8つの徳(慈悲、誠実、武勇、名誉、献身、正義、崇高、謙譲)を求め、アバタール(聖者)になり世界の真理を探すというゲームだ。国内にあるRPG、いや世界中を見ても、RPGにこういう要素を取り入れた物はなかったから、割と熱中してクリアした覚えがある。端的に言うと結構難しいゲームだった。
上の台詞はNPCのプレインという人が喋る言葉らしい((こちらのブログを見る限り・・・http://rabbithorn.dtiblog.com/blog-date-20080921.html 自分がプレイしたのは20年以上まえだしね(笑)))。ゲームをクリアしても、この台詞だけがずっと心に残っていた。ある疑問があったからだ。
徳のひとつの名誉と、徳でない誇りとは何が違うの?
辞書で調べるとこんな感じだ。
Ultima IVの原作は英語であるが、英語でも当然異なる。誇りはPride、名誉はHonorだ。
「誇りをもって○○せよ」とか、割りと良い意味でも使われることが多い。
「だからマジンシアは滅びた」。
誇りとは、本当に身を滅ぼすのだろうか?
Ultimaは街ごとに1つ1つの徳を掲げており、マジンシアは「誇り」を徳とする街であった。その街まで行くと街は荒廃し廃墟となっていた。物語が暗に「誇り」が悪徳だということを訴えていることは分かったが、「名誉」と何が違うのか?これはある時に、突然、気がつくことになった。
若い頃に天才と言われたり(多分これは親ばかの植え付け(苦笑))、勉強しなくてもテストでよい得点が取れたり学年一桁の順位を何回も取ったりしたこともあって、私は下手なプライド(誇り)が育ってしまっていたと思う。仕事をするようになっても「俺はいつか○○という凄いことをする!」という事になっていた(自分の中で!!)。
不幸なことに、今の時代はマスメディアを中心に、上から目線で「一流の凄い人達」をこき下ろす主張を良く目にする。だから、自分も評論家になったつもりで、上から目線で○○ってもう駄目だよね、とか、恥ずかしくも批評してしまったりする。なんとなくそれが当たり前で、気が付いた自分が、さも凄いと錯覚してしまう。
また様々なメディアを経由して「一流の凄い人」が、「一見」近くにいるような気がする。凄い人が近くにいると、自分まで勝手に凄いつもりになってしまっていて、○○なら俺の知り合いだよ・・・・とか、思わず自慢してしまう。凄いのは、自分じゃないのに!
「誇り」で満身になると、そんなことにさえ気がつかない。仮定の上では、自分はいつか何か凄いことをする一流の人間なのだから。抱くのは全く根拠のない自信であって、ちゃんと自分を振り返ると何も偉業をしてないことに気がつく。
でも実のところ、うすうす自分でも気がつき始めているので、それが自分に対する大きな「ストレス」になっている。自分が(何もできてない)自分を許してないから。そして追い打ちをかけるように、自分がかつて他者に発した言葉である「批判」に、自分が殴られ、何もできない自分に気がついていく。少し何かを作っては過去の自分の言葉に崩され、積み上げては崩され、賽の河原状態。壊すのは過去の自分の他者に対する批評の言葉。
思い起こすと20代後半は、自分の「誇り」との戦いだった。自分は一体なにができるのだろう?思えば、「名誉」との違いに突然気が付いたのはこんな時だった。
そう、誇りと名誉の違いを端的にわかりやすく言うとこうだ。
たったこれだけの違い。
誇らしい気持ちは自分が勝手に抱く。しかし名誉は勲章のような物で、他者から与えられる。
ではなぜ、自ら抱くと身を滅ぼすのだろう?
自ら抱くと架空のものになりがちで、地に足がついてない自信に繋がる。つまり、誇りは根拠のない自信につながり、自己の評価が実際と解離していく。解離することで努力のしどころが分からなくなる。そして自分を見失う。
名誉は勲章をもらうようなものかと思っていた。今の世に、王様から勲章なんてなかなか貰えることはないから、名誉とはゲームの中だけであって、自分には無縁のものだろうと。
でもそうじゃない。他者から与えられる名誉は勲章だけじゃない。
他者が私を評価してくれるということ。他者が自分に信頼を寄せてくれるということ。それは自分が藻掻きながらコツコツ仕事をしてきた結果に対して、他者が評価や信頼を寄せるのであって、「自称○○」という「誇り」とは全く違う。
自分に一体何ができるのか?という疑問があるならば、「名誉」がそれに対する答えだ。それは人生の中でしばしばある。自分がどんな仕事を選べば良いのか?、自分はどんなスキルを身につけるべきなのか?どんなキャリアパスを描くべきなのか?
あるいは、自社は何がコアコンピタンスなのか?
それは他者から頂いた言葉を
「名誉」が徳なのは何故か?
それは他者から頂いた評価を大切にしていき、期待に応え、自らの能力向上にも繋がるからだ。
ゲームの中で、誇りの反対は
最後に、さらに説教臭いことを・・・(笑)
若い頃、賢い(つもりであった)男の子に多い病気。20代の後半に
ちなみに私も罹患した(笑)。
重傷化するとただの困った人になる。なまじ賢いから手が終えないため、人が自然と関わりをもたないように避けていく。末期で不治の病状態(頭が固くなる時期まで放置)になると、自らが発した口撃にやられて、自滅、自殺する人もいる。
特効薬は「名誉」を大切にすること。
こんなことを考えてみると良い。
大久保 賢 (2010-01-21 (木) 14:18:55)~~自分の内部をブログで晒すというのは、なかなか勇気のいることだと思います。何も反応がないと焦って何度も見直してみたり。~~「自惚れ(pride)」とは実質の自分よりも大きいと錯覚すること。人は家系など根拠の薄いものにさえも誇りを持ちます。~ただ誇りにも良い面があって、自分を高貴だと考えている人は羞恥心を持ち、高潔に振る舞おうとします。それは「矜持(pride)」と言います。~また現代の功利主義が蔓延している中、「いくら儲けたから偉い」ではなく、「自分の行っていることは儲からないが素晴らしい」という考えは捨てたものではありません。~